学力的に出来る生徒、駄目な奴、中間層の人等色々居ました。クラス替えは毎年4月にありました。しかし5月にもなると学力的に出来、不出来の色分けがはっきりしていました。第一顔付きからしてその違いが如実に現れていました。
さて和泉夏樹、岡崎秀一郎、石倉貞文の3名は学力最優秀グループの生徒達としてこのクラスに君臨していました。ですから担任の先生が最も信頼していました。この3人は東大コースと思われる程の学力面での優秀性がありました。多分彼らは学年でもトップクラスだったと思われます。
金城政雄の学力はかなり怪しかったのですが先生に反抗的な生徒であり、特に美術担当の男性教師をからかったり、音楽担当で妊婦の女性教師を泣かせていました。特にそのバカにされた男性教師は本気で金城を追い廻していましたが、金城はグランドで逃げ回っていました。まるで二人が鬼ごっこをして楽しんでいるみたいで、見ている俺も面白く思いました。そう言えば金城は人相も卒業写真の写りも《悪党》みたいでした。卒業間近にこの男が授業を抜け出した時に俺はたった1回でしたがそれに付き合った事がありました。その時この男から俺は《○○中々いい根性をしている》と言って褒められました。周りの生徒達がそれを見ていましたが、俺としてはちょっとした反抗心・抵抗心だったのかも知れません。他に俺がその反逆心を発揮した例は卒業間近に将来なりたい職業を書けと白紙の紙を渡され《死刑執行人》と書いた事がありました。
原功は学力的には優等生で女生徒達からは抜群の人気がありました。例えば《キャ!原君素敵!》とか《原君の為なら何でもするわ》とか言われていました。この原に対し何らかのトラブルで金城が噛み付こうとした事がありました。でも原は譲らず結局睨み合いだけで終わったのですが、強い男にも変な妥協をしない姿勢が女にもてたのかも知れません。更に彼の魅力の秘密は背が高くて成績優秀だったせいです。
本田荘太郎はこのクラス内では性格的には一番明るくにこやかな笑顔が印象的なお坊っちゃまタイプの優等生でした。俺は1年の時はこの男と同級で記念切手を何枚か貰った事がありました。それは今でも保管しております。
山田恭裕はどうしても皆の前で歌いたいという事で教室の黒板の前で歌を歌っていました。卒業間近に歌ったその曲は《ワシントン広場の夜は更けて》でした。尚当時(1961年〜1963年)の主なヒット曲集は第十五章に掲載してありますが一部重複して第十六章にも掲載しております。
園庭伸好は唯一俺に《どこの高校に行くんだ?》と聞いて来た人物です。俺がその答えを言った処《どこにあるんだ?》と聞かれたのでその答えを言いました。今度は逆に俺が彼に《どこの高校に行くんだい?》と聞いた処《東工》と返事をしていました。
白石信三は老けた感じの男なので《おじいちゃん》と言われていました。第一名前からして《信三》ですからね。俺の親戚にも明治時代に没した同じ名前の人物が我が家の過去帳にあります。ある時白石は同級生の後藤を苛めていました。それを見ていた金城から注意されて白石は金城に対して即イエスマンになっていました。白石は勉強の方は出来る生徒の様で、弱い者には強かった様ですが強い者や権力者には弱いのかなって感じでした。
小川敏正は《がま蛙》に似ていたので《ガマ》と言われていました。
鈴木岳は柔道部在籍で割りと明るい性格の持ち主でした。
佐藤紀久男は中学を卒業したら鮨屋に就職すると担任の先生がクラスの皆の前で発表していました。
松原康雄は奨学金を受ける為頑張っていると担任の先生が語っていました。卒業間近に体育の授業でソフトボールをやっていた時の事です。俺の打った打球はサードに行きました。サードは内野の中でも一塁ベースに最も遠い所であり一塁にセーフになりたくて、つまり女生徒達が見ていたので良い処を見せようと全力疾走したのですが一塁でアウトになりました。一塁手がエラーをしてでもセーフになりたかったのに。その時、一塁を守っていたのが松原でした。俺をアウトにした松原はしてやったりという感じで自慢して、得意げに俺を見下していました。俺一人位アウトだろうとセーフだろうとどうでも良い事なのに。もっともこの時セーフになっていたとしても大勢に変化は無いし、俺の人生にも関係無かったでしょう。でもそれは俺の考え過ぎかな?
大木啓二は俺と同じ学力レベル(実際に数字の比較をした訳では無いので推定)で俺とはよく話をしました。彼は伝書鳩を飼う趣味がありました。《親や先生からは、そんな事をしていても何の足しにもならないぞ、と言われているんだ》と言っていました。担任の時崎先生は生徒達を都立に入れたい一心で一寸でも問題のある生徒には《発破を掛けるぞ》と言って煽っていました。俺はその意味を知っていましたがわざと大木に《俺達も発破を掛けられるのかな?》と言った処大木の返事は《それは都立に行けるかどうか当落線上の学力レベルのある奴等の話で、俺達の事は全く眼中に無いし、注目もしていないし、第一完全に無視しているよ》でした。正に当を得た見解でした。何故なら俺や大木の様な学力劣等生は先生方、親、周囲の生徒達や世間からも完全に 見放された準市民・二級市民扱いでした。先生も自分の身が可愛かったのでしょう。何故なら学力のある生徒を優先的に扱っていたからです。しかし俺より成績が悪い生徒は確かに存在していました。しかしその生徒の名誉の為にその名前の公表は差し控えます。
津賀根正雄は真面目で温厚そして几帳面な生徒でした。しかし自己主張する訳では無く社交的にも学力的にもイマイチで孤独でした。
後藤隆は学力的にはともかく希望高校に一発で合格し大喜びで担任の先生に電話連絡をしました。その報告を聞いて先生も大変感激して喜んでいました。その高校は俺にとって2番目の合格校(2次募集)だったのです。俺がこの高校を受けた理由は3連敗後とは言え1番目に合格(2次募集)した学校は気が乗らなかったからです。その理由は後に述べる俺と隣のクラス担任の先生との会話の中にあります。この高校を受験した本当の理由は第二志望校が駄目かも知れないと思ったからです。何故ならその第二志望校は6校受験した中では一番難関で最後の合格発表校だったからです。
2番目の合格校の時の事ですが俺はその内申書を書いて貰おうと職員室に入って行きました。しかし担任の先生は休みだとの事。この大事な時に困ったなと思いました。しかしここで怯む訳には行かず幸い去年(中学2年)担任だった藤枝先生が居たので頼んで書いてもらいました。その先生と俺との会話は次の通りです。
俺 《担任の時崎先生が休みですが今日で願書締め切りの高校があるので内申書を書いてもらいたい
のですが…》
先生《隣のクラスの子の内申書を書くなんて初めてだよ》
俺 《俺だってこんな事は空前絶後にしたいよ。でもどうしても嫌な高校に合格したので何とかし
たいんだ》
先生《何かあったのかい?》
俺 《ここの入試にはおふくろに付いて来てもらった。おふくろは先に帰ったが俺は金を全く持って
いなかったので、おふくろは入試担当の生徒に俺の交通費を渡して託したのにそれは俺に渡さ
れなかった。要するにその生徒が俺の金をネコババしたんだ。だから俺は交番で金を借りて帰
る破目になったんだ。こんな糞生徒の居る高校なんか死んでも行くのや嫌なんだ。それに田舎
っぽい、馬鹿っぽい感じの糞豚箱みたいな学校なんだ》
(交番で借りた金は翌日返しに行きましたが貸してくれたその警官はその時居なかったのでちょ
っとがっかりしました。)
先生《そんな事があったのか。でもそもそも何故そこを受けたんだい?》
俺 《高校入試に3戦全敗となって大変な事になっていたからなんだ、でも今欲が出て来たんだ》
先生《まあ頑張るしかないな》
そしてその高校の面接ではこう質問されました。
面接官《何故その第一志望校が駄目だったの?》
俺 《僕はその問題は良く出来ました。しかしそれ以上に出来る生徒が大勢いたのでしょう》と言
った処その面接官は笑い出してしまいました。
俺の楽勝かつ余裕の勝利でした。これは2番目に合格した高校での話でしたが、結果的にはその後本来の第二志望校に合格したのでこの2番目の合格校は辞退しました。同じ面接でも第一志望校と2番目の合格校とでは気分的、精神的、心理的に雲泥の差、天と地程の格差がありました。しかしこの2番目の合格校は学力的には超おバカな学校で俺が入っていれば優等生になっていた可能性がありました。話が大きく脱線してしまいましたが、では次に女子生徒の話を致します。
清岡真理はクラスで一番背が高く、昆虫等の生物を平気で手に持ってにこやかにしていました。ゴキブリや蛇も平気で女性としてはユニークな感性の人でした。圧巻は生きている鼠の尻尾を?んで振り回していた事です。
その時の俺と彼女の会話は次の通りです。
彼女《私のこの手と握手する勇気ある?》
俺 《やってもいいけどその手を一生離さないぜ》
彼女《面白い事を言う人ね》
俺 《何でそんな事をやったんだ?》
彼女《面白そうだからよ、悪かったかな?》
俺 《鼠が迷惑しているよ》
彼女《そうか、じゃあ鼠さんごめんね》
俺 《汚いし不衛生だからその手を洗って来たらどうなんだい?》
彼女《うん、じゃあ洗って来るよ、だから待っててね》
俺 《そしたら握手しろってか?》
彼女《うん》
俺 《冗談じゃねえ、勘弁してくれ》
彼女《ついに本音が出たね》
俺 《俺の負けだ》
彼女《じゃあ私の勝ちね、私は勝利の女神なり!》
俺 《何だそれ?そんな事で俺に勝っても何の自慢にもならないぜ》
彼女《それもそうね、私って馬鹿みたいね、じゃあねー、バイバーイ》
俺 《・・・・・》
吉川蓮子は声が大きくて活発かつ積極的な性格でした。そして気が荒く男を凌ぐ強さがありました。しかし男には人一倍興味や関心があった様です。でも色気はありませんでした。正しく庶民の娘と言った感じでしたが俺から見たらちょっと怖かったな。だって噛み付かれたら大変な事になりそうだったから。
丸山さよ子は担任の先生から個人的な何かを言われた時《それはプライバシーな問題だ》と言って断ったのでクラスの皆から受けて(笑い)いました。
茶谷真紀子はこのクラス一番の美形で男子生徒だけの場面になると必ず話題になる生徒でした。美形女生徒はこの学年で3人居てその中の1人でした。俺にとってもこの生徒は気になる存在でした。確かに第八章の卒業写真でも美人という感じがします。
石井妙子の3年全体での学年成績順位は430人中170番程であり都立高校には合格圏内でした。今俺は思うのですがこの生徒がこのクラスでは一番優雅で気品と落ち着きがあり、太陽みたいに明るく光り輝くとても素晴らしい超高嶺の花と言う存在でした。上流階級のお嬢様タイプの女性で成績は《中の上》でした。一方俺の成績は《下の中》で存在感が無く目立たない根暗な小心者でした。ですから俺は彼女に憧れていたのです。当時教室では俺と彼女はよく視線が合っていました。尚その視線の件及び俺と彼女の卒業式直後の会話は《番外編》に詳細な記述があります。
今迄の俺に関する記述では俺はモテない男の代名詞みたいですが、8月に同学年(中学3年生)の他校の女の子から手紙が来ました。女からの手紙なんて恥ずかしいと思って封を切る事無くゴミ箱に直行させてしまいました。彼女からのリクエストに応じていればとても楽しい青春時代を過ごせたかも知れません。あるいは人生が大きく変わっていたかも知れません。真面目に誠意を持って優しく対応しなかった事が今とても残念に思えてなりません。この女の子から手紙が来た理由に付いて告白致します。俺は中3時に英語の通信教育を受けていました。その団体の発行する機関紙にペン・フレンド募集のコーナーがあり、俺はそれに投稿したのです。そしてそれを見た茨城県の中学3年生の女の子が俺に手紙を出して俺の手元に届いたのです。夏の暑い日に俺が外出から帰宅したら昼食をキッチンで作っていた母と妹が居て母から渡されました。二人共好奇心を持って俺を見ていました。俺は恥ずかしかったので封を切る事無く丸めて塵箱に捨ててしまいました。今更ですがその女の子に心からお詫び致します。《あの時は本当にごめんなさい》。俺って恥ずかしがり屋と言うか照れ屋で彼女に対し大変失礼な対応だったと思っております。今だったら積極的かつ前向きの姿勢で対処し、彼女にとって手紙を出して本当に良かったと思われる結果になっていたでしょう。俺としては千載一遇のチャンスを逃した可能性があり全く馬鹿な事をしたものです。現在の俺だったら当日かどんなに遅くても翌日には返事をしています。しかしこんな事を今更言ってみた処でどうしようもありません。今なら手紙では無くメールなのでしょうがどっちにしても直ちに返事、返書、回答をするのは常識中の常識だと考えております。常に相手の身になって待つ身の辛さを相手にさせるのは罪悪と言うものです。それが分からない人はどうしようもありません。その時の俺は女性に対して超未熟児だったのかも知れません。
話が変わりますが俺が中学3年の時に昼休みの時間に《わらの中の七面鳥》という音楽が流れていて校庭で生徒達がフォークダンスをしていました。この校舎は4F建てで俺の教室は4Fであり、その廊下からそれを見ていました。でも俺はそれに1回も参加しませんでした。何故なら俺はやった事が無いし、解らないし、恥を掻きたく無かったし、面倒だし、第一義務では無かったし。そう自分で勝手に言い訳をしていました。でも参加している生徒達は楽しそうでした。ですからこの曲を聴くと今でもその時の事を思い出します。
このクラスの生徒達の総人数は47名でしたが、この文章に登場したのは俺も含めて過半数に満たない僅か22名でした。それも人によっては超短文で。残り25名の方々は俺の記憶に殆どありませんのでお許し下さい。大変申し訳ありません。しかし名前と当時の話題をメールで提供して戴ければいつでもこのコーナーに追加致しますので宜しくお願い申し上げます。
《特別追加》伊藤直樹
ここに特別追加とした理由についてですが彼は3年H組の同級生ではありませんが、俺が1年F組(射出先生)の時の同級生であり素晴らしい人柄に触れてみたかったからです。次の①〜⑤の彼とは伊藤直樹の事です。
| ① | 中1の時俺の隣の席の教科書を持っていない女の子に同情して彼は俺に《見せてやれよ》と言っていました。それでも俺は彼女にそれを見せませんでした。その為にその子は泣いていました。この時の俺の事情は第一章の③にその記載があります。 |
| ② | 中1の時の担任の射出先生が教壇で俺の事をこう言っていました。《○○は社会が出来る様になったな》と。その事について彼が後々こう俺に言っていました。《○○勉強が出来る様になったんだってな》と。それは俺に対し冷やかしでも嫌味でも何でも無く一緒になって喜んで賞賛しているみたいで快く感じたものでした。しかし実際は社会科が2から3になっただけの事であり後一歩で4になる処だったから先生がそう言っていたのです。 |
| ③ | 俺が修学旅行先で困っているのを救ってくれたのは彼でした。その正確な内容は第十一章にその記載があります。彼と修学旅行先で一緒だった神谷信一とは仲が良い友達同士だったのでしょう。卒業写真でもこの二人は隣同士でした。 |
| ④ | 彼にとって辛い事があると彼は何時も泣いていました。その時あるクラスメートが陰でこう言っていました。《あいつ直ぐに泣くのな》と。 |
| ⑤ | 彼は何時も坊主頭で白い布製のバッグを肩から吊るし、いかにも田舎の中学生と言った感じでした。 |
俺は彼の事をこう評価致します。
他人に対して思いやりがあって気配りが出来る優しくナイーブな性格の為、弱い部分もあったのでしょう。しかし俺もこうゆう男と友達になっていればラッキーだったかも知れません。当時の俺は対人関係に於いて受身であり消極的でした。今なら積極的に攻勢に出ていますが彼がそれを受け入れたかどうかは分かりません。
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shichirigahama@nifty.com - 落ちこぼれ中学生の夢の高校ブログ
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