さて俺がこの高校を受験した本当の理由は次の2点でした。
①少数教育
我々の年代は後に団塊の世代と言われ1クラス50名以上が当然でした。俺はそんな大勢の中に埋没したくなかったのです。俺の小学校1年〜中学2年迄のクラス人員は常に50名以上であり、中3でやっと50名を切ったのですが、それでも47名も居ました。その点この聖パウロ高校は《少数教育》(35名)であり、それはマンツーマンみたいで俺にとってはとても魅力ある内容(人数)に思えました。俺の学んだ第二志望校であった高校のクラスは34名(卒業時)であり、そうゆう意味で《少数教育》は十分に正解であったと理解しております。尚この高校では担任の先生(英語担当の30代の女性)や友人達にも恵まれるという非常にラッキーな側面もありました。ですからそうゆう環境を与えてくれたその学校とそれらの人達に心から感謝しております。従って第一志望校には入れませんでしたが却ってそれで良かったのかも知れません。
②キリスト教
聖パウロ高校はその名の通りキリスト教(カトリック)系の学校です。俺もキリスト教には興味がありました。でも俺にとって本当に関心があったのは正確にはカトリックでは無くプロテスタントでしたが・・・。
キリスト教は元来ヨーロッパやアメリカ等を中心にした宗教ですが、イメージ的には日本の地味で保守的な仏教と違って何となくハイセンスで知的、そして気品のあるムードが感じられ引き付けられる思いがしたのです。第一《聖パウロ》と言う名前だけでも気品、風格、将来性が感じられ他人にも胸を張って堂々と自慢出来そうな気がしました。ですからそれを心底とても楽しみにしていたのですが、このクリスチャン系の高校入試は不首尾に終わりました。俺はキリスト教徒ではありませんが、聖書(新約聖書)のマタイによる福音書7章7節、及びルカによる福音書11章9節にはこう記されています。
《求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。》
俺はこの高校を求めて探し門をたたきましたが、結果は思わしくありませんでした。しかし俺の着眼点は絶対に間違っていなかったと今でも自負しております。
昔俺が熱望したこの学校がキリスト教の精神に基づく愛の教育を施す人間形成の場であるならば、それは俺が昔イメージした通りのとても素敵な高校だと思います。
余談ですが高校生の時に通っていた教会では聖餐式で《賛美歌515番》が流れておりとても素敵な曲だと思いました。
