当時一般的には都立高校は勉強が出来る生徒の行く学校であり、そこに入れない学力的に駄目な生徒は私立高校という色分けでした。当然の事ながら俺は落ちこぼれの私立組でした。
俺の中学3年間に於ける学力面でコンスタントに人並みの成績だった科目は社会科だけでした。3年になってやっと英語も平均的レベルになりました。中1と中2の英語の成績は1か2だったのですが3年になってABCからやり直した結果3になったのです。その詳しい成績内容は第九章の《中学3年間の成績表等》に記載してあります。3年次の英語の中間・期末試験に対する作戦は重要構文であるFOR STUDYの英文を暗記しただけだったのですが、我ながら不思議なのは中1で最低の1だった成績が中3で平均的な3になった事実です。どう考えても中1の英語より中3の英語の方が遥かに難しい事は間違いの無い事実だからです。尚その中3の時の教科書に載っていた文章で今でも覚えているFOR STUDYの例文が一つだけあります。それはこの文章です。
A house on the seashore is nice to live in.(海岸の家は住み心地がいい。)
当時の3年は毎月月例(業者)テストが9科目もありました。その英語の成績はほぼ安定していて1回だけですが45点(第九章に実物大のコピーを掲載)の他は48点と60点の繰り返しでしたが最後は64点でした。
では次に英語に関する思い出話が6点ありますのでそれを申し上げます。
| ① | 英語はリーダーとニュースウィーク(A4サイズの1枚の紙)がありその後者の授業は先生(リーダ
ーとは別の教師)がそれを各生徒に配布して面白可笑しく授業をしていました。ですからその授業だけはとても楽しみにしていました。俺の小学校1年〜大学4年に於ける16年間の学校生活の中でこんなに常に皆を笑わせる楽しい授業はこの中1と中2の時だけでした。ある生徒がこの先生にこう質問していました。 生徒 トイレの個室に入っていてノックをされて英語が分からなかったら何と言えばいいのですか? 先生 大きな声で入ってるぞ!と言えば英語で言わなくても大丈夫だ、だってwelcomeや yes,pleaseではどんなもんかね?もっとも当人同士が納得していて他人に迷惑を掛けなければまあいっかとは俺は言わないぞ。だって俺はそれをコメントする立場の人間じゃあ無いからな。 これはほんの一例ですが本当に面白い事を言う先生だと思いました。この先生は落語家の方が向いていると思いました。尚中3になるとこの楽しい授業は無くなりリーダーだけとなりました。俺の中1と中2の英語の成績は1か2だったのですが2の時はこの先生の科目で点数を稼いでいたのです。リーダーの方は全く駄目でした。 |
| ② | 俺は中3になって英語で海外文通を始めました。相手はカナダのオンタリオ湖の脇にあるキングストン市に住む同い年の女の子でした。海外文通のノウハウ本を参考にして手紙を出していました。彼女は英語が母国語なので英文は当然の事ながら朝飯前の一仕事でも、俺にとっては悪戦苦闘でした。そう意味では不公平感がありました。彼女は母国語を筆記体で書いていましたが、俺の方がテキストの見本通りに綺麗に書く事が出来ました。そしてそれは今でも身に付いております。しかし肝心のそのペン・フレンドからの手紙の内容は英和辞書を片手に悪戦苦闘したのですが、俺の英語力では余り良く理解出来ませんでした。尚この海外からの手紙1通をサンプルとしてこの第一章末に掲載しました。 |
| ③ | 中1の時でしたが俺は教科書の英語の単語が全く読めなかったので、それぞれの単語の読み方を親に教えてもらって鉛筆書きの片仮名でルビを振って授業に出席していました。処が英語の教科書を持っていない隣の女の子にそれを見せませんでした。何故ならそのルビを見られるのが恥ずかしかったからです。その女の子は泣いていました。今その女の子に心からお詫び致します。《あの時はごめんなさい》。その後席替えがあって今度は別の女の子が俺の隣に来ましたが、その女の子も教科書を持っていませんでしたが、その子は他の人に見せてもらっていました。そしてその子が後に三大美人と言われる一人でした。でもその女の子は気が強く同級生の男子生徒と喧嘩をしてその男をぶっ飛ばしていました。そしてその男は泣き崩れていました。処で今だったら俺はそれらの女の子達にこう言ってその教科書を見せるべきであったと心から反省しております。《余分な事が書いてあってごめんなさい、良かったらどうぞ》。その時に使用したABC…やThis is a pen.で始まる英語の教科書(第二章)は今でも持っています。しかしこんなにも易しい英語に最低成績の1を取った事は今では懐かしい思い出の数字です。 |
| ④ | 英語検定(英検)という制度が出来たのは俺が中学生の時でした。当時は3種類で1級(大卒程度)、2級(高卒程度)、3級(中卒程度)でした。1級は絶対に無理ですがせめて2級合格が俺の夢でした。しかしその2級でも俺の実力では一生掛かっても無理だと思っていました。何故なら中1では英語の成績が最低の1だったからです。その中学時代の夢の2級合格が実現したのは大学生になってからでした。もっとも大学生ならそれを受けた場合は合格して当然であり常識です。しかしそれは建前であって、俺はこれを3回受けて3回目にやっと合格したのです。1回目は1次で、2回目は2次で不合格でした。合格の方法は過去問を徹底的に分析・解明し、研究に研究を重ねて、要するに事前準備を十二分にしての成果だったのです。中学時代の一つの夢が大学時代になってやっと実現したのです。 |
| ⑤ | クリスマスソングで《赤鼻のトナカイ》という曲があります。それを英語ではRUDOLPH,THE RED-NOSED
REINDEERです。俺はこの曲が大好きでクリスマスシーズンになると繰り返し何回もよく聴いていました。プラターズが英語で歌っているものでその時すっかり覚えてしまって、今でもプラターズのバージョンで自信を持って歌う事が出来ます。その英文による歌詞は次の通りです。 RUDOLPH、THE RED NOSED REINDEER Rudolph the red nosed reindeer had a very shiny noseAnd if you ever saw it you would ever say it glows All of the other reindeer used to laugh and call him names They ever let poor Rudolph join in any reindeer games Then one foggy Christmas Eve Santa came to say Rudolph with your nose so bright won't you guide my sleigh tonight? Then how the reindeer loved him as they shouted out with glee Rudolph the red nosed reindeer you'll go down in history Rudolph, the red nosed reindeer had a very shiny nose And if you ever saw him you would even say it glows And then one foggy Christmas Eve Santa came to say Rudolph with your nose so bright won't you guide my sleigh tonight? Then how the reindeer loved him as they shouted out with glee ![]() Rudolph the red nosed reindeer Rudolph the red nosed reindeer Rudolf the red−nosed reindeer You'll go down in history |
| ⑥ | 俺は中学3年になって英語をABCから勉強するに当たり、次の事を実行しました。当時毎月買っていた学習雑誌で《中3時代》というのがありました。その雑誌は中1の時は《中1時代》、中2の時は《中2時代》でした。その《中1時代》の付録で英語のフィルム・レコードがあったのですが、それは出版社に申し込みをして送られて来るシステムになっていました。その中1の時俺はその申し込みをしませんでした。俺は中3ですので2年も前のそれがあるか否か不安だったのでその出版社に照会した処在庫があったので送ってもらいました。その中身の講師はJ.B.ハリス先生で文字通りABCの発音から始まっていました。例えば《Aはエーではなくエイ、Cはシーではなくスィー、Hはエッチではなくエイチ》と教えており、とても判り易くスムースに覚える事が出来ました。一方俺は中3なので中学の教室では英語の関係代名詞や分詞構文等、そもそもそれが日本語としての意味も理解出来ないのでチンプンカンプンでした。まあそれでも英語の成績は平均的レベルでした。とは言ってもそれは限り無く2に近い3だったのかも知れませんが。この第一章末にこのフィルム・レコードとそのジャケットの総てをコピーして掲載致しました。尚そのフィルム・レコードを送ってもらった時にその出版社に御礼の手紙を出しませんでしたが、その時はそれに気が付きませんでした。今この場を借りて改めて御礼申し上げます。あの時はありがとうございました。 俺の英語に関するメインの勉強方法は次の通りでした。1,2年次は全く勉強をしませんでしたが3年になって本格的にやる様になりました。それは日本英語教育協会と言う英語を教える民間の団体があり、その教育内容は教科書と同一内容の通信教育でした。中学はジュニア科、高校はシニア科でした。勿論俺はジュニア科でした。俺は中3になってその通信教育で学び力を付けた結果、英語の成績が人並みの3になったと思われます。それは1年間で中学3年間の内容を学ぶシステムでした。中3の俺にとって中1の英語は楽勝そのものでした。各学年について3回づつテストがあり、合計9回ありました。その点数は最初の1回目は100点でしたが、それ以後は100点ではありませんでしたがそれに極めて近い点数でした。それに対するコメントも賞賛する内容でありそれを読んで俺は大いに自己満足をして、更に自信を持って勉強しました。しかし俺は入試があるのでのんびりとこれを1年掛かりでやっている事は出来無いので半年で修了証書を手にしました。成績優秀者に贈られる文部大臣賞を密かに期待していたのですがそれには至りませんでした。オール100点なら可能だったのでしょうが・・・。 ところで社会科にしても英語にしても俺だってやれば平均的・人並みの成績を取る事は可能だったのです。しかしそれ以上の成績を取った事もありました。その科目は中2の社会科で1学期〜3学期の成績が2,3,4と1ランクずつグレイド・アップして行った事実です(第九章)。俺が義務教育時代に4を取ったのはこの時の1回だけでした。相乗効果と言うのか、この時は他の科目も比較的成績が良く、中学3年間の中では最高の数字でした。ですから俺も興味や関心を持って積極的に勉強をやれば他の科目でも4を取る事は可能だったのであり、そうすれば都立高校も決して夢では無かったのです。しかし好きになれない科目が圧倒的多数でした。一番悔しく大変残念な思いをしたのは中1の社会科での3学期の成績評価でした。それは試験で100点満点中84点も取ったのに5段階評価の3だった事です。成績通知表を渡す前に担任の先生が皆の前で俺の事をこう言っていたのです。《○○は社会が出来る様になったな》と。ですから4を期待していたのですが結果は3でがっかりしました。3では出来る中には入りません。4を取れなかった理由は中1の時の3学期の成績評価は1年間を通しての総合評価だった為です。本来なら84点も取ったのですから《4》で当然ですが、2学期が《3》とは言え、1学期が《2》だったからです。それで納得しました。その納得をしたのはこの文章を書く為に成績表を見た時にそう小さく印刷されていたからでした。長年の疑問がこの時やっと解明されたのです。尚《4》の夢が実現したのは先程述べたこの1年後の社会科でした。 俺の中3での国語の成績は2でやや平均より劣る成績でした。しかし俺にとってとても興味のある文章があったのでそれを繰り返し読み、完全に頭の中に入ってしまいました。そしてその文章がそっくりそのまま第二志望校の入試(国語)に出て超ラッキーでした。その時《やった!》と思って凄く嬉しく、問題は余り読まないで答えをスラスラと書くことが出来ました。その高校の面接官(入学後に分かったのですがその先生は現代国語担当の山口先生でした)が《国語が良く出来ている》と言っていたのです。そのおかげで合格出来ました。今迄の俺の人生では一番ラッキーでした。その幸運に感謝しております。その面接官は正確にはこう言っていました。《数学は15点だったけど、国語が良く出来ている、英語はどうですか?》それに対して俺は《得意ではありませんが大変興味があり大いに勉強したいと思っております》と上手く返事をしました。その高校入学後の英語の成績は1年の1学期は赤点補習組でしたが、高校生なのに俺が中3の時と同じABCからやり直した結果2年の2学期はクラスで1番になりました。ですから俺のこの時の返事は高校からの期待通りの正確かつ適切な回答であったと自負しております。尚余談ですが俺が進学した高校の教室内での成績順位の最低は1年の1学期で37人中35番(ワースト3で赤点3科目もあり落第候補生)、最高は3年の2学期で34人中3番(ベスト3でしたがそれでも赤点1科目あり)でした。高校3年間のクラス総合平均人数と平均順位は35人中18番でした。 中学時代は教室内での成績順位の告知は無かったので正確な事は判明しませんが推定による俺の中3に於ける教室内での順位は47人中40番程度、《番外編》に登場して来るその女子生徒は47人中18番程度でした。俺がこの女子生徒に重大な興味や関心を抱いた理由は第七章にその記載があります。俺とその女子生徒との直接の会話は《番外編》に詳細な記述があります。それを《番外編》にした理由は本文のタイトルや内容とは直接的にも間接的にも関係無いからです。 ではここにサンプルとして②の海外文通の手紙を1通、⑥の4月号フィルム・レコードとジャケットの全貌、そして添削結果の一部をコピーして掲載致しました。 |
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Rudolph the red nosed reindeer had a very shiny nose















