さてそもそもこの文章を書くに至った理由は成績が悪いにも係わらず、夢と憧れのその高校受験を中学の担任の先生から反対されながらも強行し、後一歩の処で逃し大変残念な思いをした事を文章で限り無く実態に迫る表現をしたかったからです。事実その目的は達成出来たと考えております。しかしその本文とは直接関係ありませんが《番外編》に於ける実録会話のプロポーズ場面は本文を陵駕する程の強烈なインパクトがあり、却ってこちらの方がメインかと思われる程の衝撃的な中身になってしまいました。従ってタイトル名はプロポーズに対する《その失恋》または《二つの失恋》(恋焦がれていた高校受験敗退の件、片想いとは言え好きだった彼女から振られた件)とした方がいいかも知れないと思いました。しかしあく迄もこの文章の本来の趣旨は俺の《高校受験》であり《番外編》は単なる脇役にしか過ぎません。従ってやはり当初のタイトルの方が最も適切であると最終的に判断致しました。何故なら本来は俺の高校受験の挫折をメインに描くのが目的であり、《プロポーズ》をタイトルにすると本末転倒になってしまうからです。ですからプロポーズの件は番外編の中に集約してありますがこれでも必要最小限に留めました。それにしても《あとがき》の中に於いても《番外編》の中身の方が質的にも印象度の点でも本文の中身を凌駕する程の強いインパクトがありました。しかし文章量その物は本文の方が番外編より圧倒的に多いのですが、事実上中身の濃度は主客転倒してしまったかも知れません。ですからプロポーズの件は《番外編》とせずに《第十七章》として、タイトルは《敗北!高校受験とプロポーズ》とした方が良かったかも知れません。
《プロポーズ》の件は生涯俺の心の中に本当に封印しておくつもりでした。その証拠に40年以上も経過し永遠に第三者の知り得る処とはなり得ないはずでした。しかしこれは中学卒業式直後の俺と彼女の短い時間内での会話でしかありませんが、俺の中学時代の一番大きな思い出である事以上に我人生に於いて最大の出来事であり、これを抜きにして俺の中学時代を語る事は不可能な為敢えて発表致しました。尚これを公表する事についてその相手女性の許可や了解を得ていませんが、多分笑って許してくれるものと思っております。もしそうで無ければ《ごめんなさい》と言って許しを乞うだけです。確かな事実として彼女は俺にとって《初恋の女性》であると同時に《永遠の恋人》でもあります。彼女は俺の人生に於いて俺の心を魅了した空前絶後の女性と言っても過言ではありません。彼女をそこ迄思う気持ちになった理由は本文(第七章)にその記載があります。人を憎んだり嫌ったりするよりは遥かに良い事ですが、人を好きになる事がこんなに辛い事だとこの時初めて理解する事が出来ました。俺としては最高の幸福を求めて彼女にその実現を強く求めたのですが、幸運の女神は俺に微笑まなかったのです。それにしても俺の生涯に於いて一人の女性に対しこれ程熱い思いを抱いた事は、後にも先にもこの時だけでした。それだけ強烈な一方的片想いだったのです。この時に俺の人生に於ける女性への精神的・心理的全エネルギーを使い果たしてしまった様に思われます。何故ならそれ以後、俺が特定の女性にこれ程熱い思いを抱く事は無かったからです。その後彼女がどうなったのか知る由もありませんが今でも健康で元気に生活をしていれば何よりです。俺は現在西新宿の超高層ビルの上層階で仕事をしています。たまに晴れて視界の良い日には富士山を眺める事が出来ます。そんな時、彼女は今どこで何をしているのかなってフッと思う事があります。余談ですが2回目のプロポーズは俺が大学3年(20歳)の4月でした。当時俺は新宿区内の会社でアルバイトをしていました。その会社へ高校を卒業したばかりの18歳の女の子が新入社員として来たのです。お互いに仕事中だったのですが俺はその子の手を掴んでこう言ったのです。《俺と結婚しようぜ》と。でもその子は黙って首を横に振って逃げてしまいました。俺が15歳の時の初求婚は真剣に相手にアタックしたのですが、断られて気分的に沈んでしまいました。しかしこの2回目は軽い気持ちでの挑戦でしたので結果的には駄目でしたが、まあいいだろうと思いショックは全然感じませんでした。どちらの女性にしても《YES》と答えていればまたお互いに違った人生になっていた可能性があります。そう思うと感無量です。
《実録会話》は当時の俺と彼女の間で実際に交わされた会話をそっくりそのまま再現したものです。それは今でも俺の心の中に残る人生の究極の夢の実現を掛けた非常に壮絶な厳しい戦いでした。しかしその結果は夢と憧れの高校受験同様《桜散る》結末となってしまいました。彼女の意思を尊重した結果とは言え本当に残念としか言い様がありません。俺は強く自己主張出来ないひ弱な性格で、自分の価値観を相手に無理やり・強引に押し通す事が苦手な性質だったのです。ですからその為にそうゆう結果となって我が人生最大の不覚を取ってしまったのです。それは俺の人生に於ける一番大事な点でした。従って俺の人生にとって、それも中学3年の時の痛恨のダブルヘッダー連敗(入試失敗、失恋)となりました。しかしそれはそれとして俺の心の中に過去の思い出として生き続けています。あの時は彼女のガードが厳しくとても攻め切れないと判断し諦めてしまったのですが、俺が命懸けで挑んでいれば違った展開になっていた可能性があります。しかし今更何をか言わんやです。あの時は幸せを求めて一生懸命修羅場の中で戦ったのですが非常に残念な結末となってしまいました。しかしそれは今の俺から見たら大昔の遠い過去の一場面でしかありません。現在の俺は健康で元気に仕事をして暮らしているのですからそれで十分なのです。
《想定会話》は俺自身について述べている点が大半ですが、それは間違いの無い事実です。しかしそれ以外の点では若干ですがフィクション部分があります。それは彼女の発言です。従ってこの文章全体(序章〜番外編)の正解率・正確性は99%以上になりますが、残りの1%以下がそのフィクション部分となります。ですからタイトルの表現について《99%以上の真実と1パーセント以下のフィクション》とした方が洒落ていたかも知れません。
教科書、成績表、生徒手帳、写真、その他資料等を掲載した訳はその当時の証拠としてリアルに再現してみたかったからです。それは文章の内容を事実として保証し補強する何より大切かつ重要な物証です。そしてその役割は十分に果たしたと思っております。特にその英語のテキストは当時の英語教育のあり方を伺い知る事が出来る貴重な証拠です。
《二兎追うものは一兎をも得ず》と言う諺があります。それは俺の《高校受験》と《プロポーズ》の事ですがどちらも全く準備をしないぶっつけ本番であり、スポーツに例えるなら、相撲で言えば立会いから一気に相手を土俵際に追い詰めたにも係わらず《うっちゃり》での逆転負け、野球では3対0でリードしていたのに9回裏2アウトフルベースでボールカウント2−3から逆転満塁さよならホームランでの劇的な大逆転負けと言ったところです。要するに俺の脇も詰めも甘かった為に俺の思惑通りに事が運ばなかったのです。そうゆう意味では大いに反省の余地がありますが、今更どうしようも無い事です。高校入試は3連敗後3連勝し、絶好調になって来ました。そして別件ですが彼女にOKさせて大金星による大逆転の奇跡の4勝3敗で優勝して卒業するつもりだったのですが、人生何でもそうそう思い通りには行きませんでした。何でも自分の思い通りになるラッキーな人も居れば、その逆の不運な人間も存在します。しかし俺が考える究極の幸福とは健康で元気に働いて生活する環境であると確信しております。しかし俺にとってのこの15の春は人生行路の出発点としての大変重要かつ大切な分岐点であった事は間違いの無い事実でした。
俺の彼女に対する気持ちを最も端的に表現した音楽があります。それは俺の中学3年(1963年)当時とその曲がヒットした時期とのタイム・ラグがありますが、ザ・スパイダースの曲で《なんとなくなんとなく》です。その一節で《・・・君と逢ったその日から、夢のようなしあわせ・・・》と言う件です。その歌詞もメロディーも俺の心情にぴったりなのです。《国破れて山河あり》と言う表現がありますが、この文言を借りれば《恋破れて命あり》言ったところです。何故ならこれでも俺にとっては命懸けの恋だったからです。いずれにしてもその曲は俺にとって甘酸っぱい初恋の香りのする音楽です。他の曲では《あの時君は若かった》も同じ様な感じです。
第一志望校の一次試験をパスした時は大いに順風満帆で絶好調でしたが、それから先が悪戦苦闘(3戦全敗)となり大変な思いをしました。しかし最後はハッピー・エンド(第二志望校合格)で結果オーライになりました。しかしその悪戦苦闘中は様々な出来事があり、そこで出会った人達には今でも感謝しております。例えば俺の内申書を書いてくれた隣のクラスの先生、入試の帰りのバス代が無いので交番で相談したら気持ち良くすぐに金を貸してくれたその警察官、2番目の合格校の面接で俺にリラックスムードを与えてくれて楽しい気分にさせてくれたその学校の先生等です。まだあります。それは俺の第一志望校で俺を不合格にした入試担当者の方です。何故ならその為に俺は第二志望校へ進学したのですが、そこで素晴らしい人間達との出会いがあったからです。その皆様方には心から感謝しております。ありがとうございました。逆に言えば俺が第一志望校に一発合格していれば、それらの人達との出会いも触れ合いも無かった訳ですから、そうゆう意味では俺の人生も見捨てたもんじゃないと思っております。それらの方々にもう一度申し上げます。《あの時はありがとうございました》。
俺にとっての中学時代は序章にも書きましたが友人は殆んど無く、成績も劣等性そのもの、夢と憧れの高校受験失敗、そして最後は熱い想いを抱いていた彼女からの愛の拒絶等全く散々な目に遭いました。しかし運良く第二志望校に合格し、その高校では友人や先生に恵まれ、今は冷静に中等教育時代を振り返る余裕があるのですからそれで十分だと確信しております。しかしその中等教育時代でも前期(中学)と後期(高校)ではその内容に雲泥もの大差があった事は間違いの無い事実です。例えば次の通りです。
① 友人に恵まれ無い時期、生涯を通して付き合える友達に出会った時期
② 英語の成績が最低の1だった時、クラスで1番になった時
③ 成績全体が最下位グループだった時、トップグループになった時
④ 毎日がつまらないと思った時、生きている時がこんなにも楽しいと思った時
その他にも色々あって枚挙に暇がありません。
序章では俺の中学時代は《マイナー》だと書きました。確かにそれはそれで事実です。しかし《一歩後退、二歩前進》と言う表現があります。俺の中学時代はその一歩後退していた時期であり、次へ飛躍する為の準備期間だったのかも知れません。俺は今当時の事をそう位置付けております。
半世紀近くも前の大昔の事を良くここ迄鮮明に覚えていたと俺自身でも感心する程リアルに描く事に成功しました。それはまるでタイム・マシーンを利用してその世界へタイム・トラベルをして、そこで見聞した事をそのままここに描写している程の確実性・正確性があると同時に臨場感溢れる内容と言っても決して過言ではありません。もっともそれは本当の事なのですから当然です。
この文章の一部は法的側面から或いは法令順守の立場から厳密に考察し検証した結果、一部が個人の捉え方や考え方によっては法令に抵触する可能性が考えられます(そう言ってはオーバーですが・・・)。正確にはそれを100%クリアーしていない部分があるかも知れないと言う程度にしか過ぎません。しかし問題提起があった場合にはそれなりの真摯な対応が必要と考えております。しかし半世紀近くも大昔の事であり、今更どうでもいい事であり《問題》と考える方が余程ナンセンスであると俺は考えております。
《聖パウロ高校》と言う実名が登場しております。それはこの文章を執筆するに当たって一番大切であり、最重要ポイントであると同時に必要不可欠な部分だからです。ですからその高校の校長先生にその実名表示の許諾をお願いした処快諾して戴きました。心から感謝して御礼申し上げます。ありがとうございました。その校長先生のメールから察せられる人間像は、キリスト教の愛を教える優しく温厚な紳士であり、その下で学ぶ生徒達はとても幸せだろうと思われます。聖パウロ高校の益々のご発展を心からお祈り申し上げております。
この文章全体の量は400字詰め原稿用紙にして優に100枚はオーバーする代物です。内容は番外編の一部を除いて真実・事実のみなので迫力を以って読み手に伝えられたと思っております。この文章を批判するのも賛同するのもそれは読み手の自由です。どちらにせよ大歓迎致します。しかしこの駄文以上の内容を書いてそれを是非俺に読ませて下さい。その方がもっと歓迎致します。しかし建設的な御意見や御感想を戴けるのでしたら非常に嬉しく思います。その他に追加、修正、訂正等のリクエストがあればお知らせ下さい。極力この文面に反映させるつもりです。尚メール送信先は第十四章にその記載があります。
B.G.M.について
ここに登場したB.G.M.は3曲です。それも本文以外の部分にあります。
最初の挿入歌は《悲惨な戦争》です。昔のテレビ・ドラマであり大ヒットして一斉を風靡した番組《金曜日の妻たちへ》のドラマ中の挿入歌としても使われた素晴らしい名曲です。しかし重苦しく暗い悲壮感溢れるムードであり、これは先行きの良くない事を暗示させる悲観的な事を連想させる音楽です。それは俺の夢が叶わず悲劇的な結末を迎える実録会話の挿入歌として最適だと判断致しました。尚この楽曲はピーターとポールの反戦をテーマにした美しいバラードであり1962年のヒット曲です。
次は《風に吹かれて》です。これは俺にとっては思わしく無い結果になってしまいましたが、明日の明るい希望に向かって新たに歩み始めると言う感覚です。ある意味では甘酸っぱい初恋の香りがします。この曲は初期のボブ・ディラン作った決定的名曲で単なるプロテスト・ソングに終わらず、人類が永遠に抱えた問題に迄言及したものです。フォーク・ソング時代の生んだ最高のスタンダード曲と言える名作品であり1963年のヒット曲です。
エンディング曲として《ホイッティングトン寺院の鐘》を選定した経緯と理由は次の通りです。この曲は俺が西新宿に本社がある会社で仕事をしていた時の事です。そこでは終業と始業、昼食時間の開始と終了の合図としてその曲が社内で流れていたチャイム曲です。俺はこの曲が気に入ったので総務に照会しました。そしてこれを納入したメーカーを教えてもらい、そこと交渉してその曲の入ったCDを譲って戴きました。この曲は俺の中学時代とは特別な関係がある訳ではありません。しかし俺の中学時代の良い思い出や悪い出来事等を総て許容し受容して洗い流し、明日の希望へと導く素敵なロマンと気品の溢れるとても素晴らしい音色が気に入っているのです。ですからエンディング・テーマ曲として最適であると考え採用しました。余り一般的かつポピュラーな音楽ではありませんが、一度でも賞味して戴けたら幸いです。
次の2点は俺の人生に於ける究極の選択肢として間違いも嘘も無かったと確信しております。結果的には思惑通りに事が運びませんでしたが、悔いが残る処か却ってベストな行動であったと自己満足しております。
① その高校への入学を熱望した事
② 彼女に結婚を要求した事
ここ迄お読み戴きありがとうございました。心から御礼申し上げます。そして皆様方の御健康と御活躍を心からお祈り申し上げております。
以 上
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本作品を完成するに当たっての参考資料、利用施設、協力者等は次の通りです(敬称略)。
① 朝日新聞(昭和38年11月23日)
② インターネット(思い出の昭和史、ひので号他)
③ 絵葉書(古都の美)
④ 小田急電鉄の車両(JTB)
⑤ 家庭画法ホームソング(世界文化社)
⑥ 京都のきほん(JTB)
⑦ 高校受験案内(晶文社) 昭和39年度版
⑧ 交通公社の時刻表(交通公社)1963年5月号
⑨ 国立国会図書館
⑩ JTB時刻表 2007年5月号
⑪ JUNIOR ENGLISH (学校図書) 昭和36年月印刷・発行
⑫ 新宿区立中央図書館
⑬ 聖書(新約聖書)
⑭ 生徒手帳(東京都世田谷区立桜丘中学校)
⑮ 聖パウロ学園高等学校長
⑯ 第15回卒業生記念のアルバム(東京都世田谷区立桜丘中学校)
⑰ 日本音楽著作権協会(JASRAC)
⑱ フィルム・レコード(旺文社)
⑲ 読売新聞(昭和38年11月23日)
⑳ RUDOLPH,THE RED NOSED REINDEER
《注》 西暦と年号が別々であり統一性に欠けますが、これはその資料の表示を忠実に
再現した為の現象です。
